メイクアップアーティストとして活躍されていた安田倭子さん。
人生を転向させていった偶然とは思えない共時性。数々の不思議な出来事。大きな学び・・・。 脳ヒーラーに至るまでに起こった波瀾万丈の道のりをお聞きいたしました。 先ほどもお伺いしましたが32歳くらいの頃、メイクや着付けのお仕事で目の周りの筋肉を痛められ、それから、2年間、目の治療をされたことがきっかけでヒーラーの能力が開花されていったのですよね。 人の痛いところが分かったり、見えないものが見えたりするようになりました。入院中に看護師さんの不調な所が見えてしまったりですね。透視ができるようになってからは、楽しくて仕方ありませんでした。主人の隠しごとまで見えてしまったり、つい正直に「○○でしょ」って言うと、異様な能力に思われてしまったこともありました。 いわゆる超能力が身に付いてしまったということですよね。 毎晩のように幽体離脱を楽しんでいたこともあったんですよ。1度幽体離脱ができると、コツのようなものがあって、ふいっと身体を抜けられるんです。天井の当たりを散歩したり、主人がいるところに遊びにいって何をしているのか見たり(笑)とか・・・。 すごい特殊能力ですね。 でも、ある時、体に戻れなくなったんです。それで、すごく怖くなってこれはやってはいけないことなんだと気がつきました。そのときは、どうにか体には戻れましたが、それからは二度とやらなくなりました。そういう特殊能力は、遊び半分で使ってはいけないのだと、深く反省しまして・・・。それから、感謝とかお詫びとか、ハートの部分を大切にしていくことに気がつかされていきました。 高次元レベルの守護霊の方が、きっとサポートしてくださっているのですね。 お陰様で、それ以来余計なものは見えなくなりました。その代わりにリーディング能力が開かれていったんです。体のことがよく分かるようになってきたんですね。でも、そのときはまだ自分が憑依されることもあり、はずし方も分かりませんでした。とにかく、何でこうなるんだろうと不思議でした。いったい自分は何者なんだろうと疑問も次々湧いてきました。それから、学びが始まったんです。宗教めぐりをしたり、いろいろな健康法で体のことを学んだりしました。霊媒師を育てるような会にも行きましたが、憑依だらけだったのですぐにやめました。ちょうど、その頃着付けの勉強に来られていた生徒さんが、沖縄のユタさんに見てもらったらどうですか?と言ってくれたんです。ちょうどトップのユタさんを知っているということで、沖縄本島まで行くことになりました。 高次元レベルの守護霊の方が、きっとサポートしてくださっているのですね。 結局、トップのユタさんは忙しいということでお会いできなかったのですが、ナンバー2といわれるユタさんが出てきまして、「ちょっといらっしゃい」と呼ばれ、すぐ近くにくるように言われました。本当は並んで順番を待たなければいけなかったのですが・・・。 そのユタさんは、すぐに倭子さんの能力に気がつかれたのですね。それもすごいことですね。 能力といいますか・・・、そのユタさんには次のように言われました。「あなたの後ろには日本を代表する女性の方が3人付いている。すごい方がついているから、日本の女性を癒しなさい。手かざしみたいにして癒しなさい。それがあなたのお役目ですからそれをやりなさい」 なるほど、それが人生を転向していく大きなきっかけになっていったのですね。 とにかく、人間の体のしくみや骨や筋肉のことや、健康面の知識なども勉強していきました。そういうことは目をつぶっても分かるのですが、基本的な知識は取り入れて行きました。人の体の中を見ていったり、硬くなっているところをエネルギーでやわらかくしていったり、自分なりに、次々といろいろなことが分かったり出来るようになっていきました。 能力が開かれてから、より細やかにその能力を磨かれていったのですね。 ある意味、本格的なヒーリングがきちんとできるように導かれていったのですが、できるようになっても、まだヒーラーとしてスタートするつもりはなかったんです。 まだその頃は、ご主人の経営されていたゴルフ施設などで、一緒にお仕事されていたのですよね。 主人は、とにかく私の特殊能力が嫌だったみたいです。それでも、お客さんで具合の悪い人などがいると、ついヒーリングしてしまったりすることがありまして・・・、そんなことが重なっていったんですね。思い出すのは、ゴルフ場にいらしていた、ある上場企業の部長クラスの方のことです。その方にはうつ病の症状があり、時々怒り出すこともあったのですが、なぜか私がお声をかけるとおとなしくなると主人に言われまして・・・(笑)よく、何か問題があると引っぱりだされていました。 ご主人も倭子先生のことを認めざるを得ないようになっていったわけですね。 大きなきっかけは、主人の会社が倒産したことです。それから、好きな方向に行ってみたらと言われまして、そのとき、数年前にお声をおかけいただいていた、日比谷クリニックの院長さんに連絡をしてみたのです。院長さんは、研究材料にしたいから来て下さいと言って下さいました。 お陰で、私達にも扉が開かれたのですね。原因不明の痛みとか難病とか、本当に助かっている人が沢山いますね。 今は、本当に感謝しかないんです。こうやって人のお役に立てさせていただいていると思うだけで幸せですね。 最近の倭子先生のスケジュールはびっしりで、すぐに予約が取れなくなってしまいましたけれども・・・・、お休みもあまり取られなくて大丈夫かしらと心配になるほどです。でも、倭子先生はクライアントさんの喜びが原動力となって元気でいられるんですね。 1人でも多くの人に、健康であることの幸せを感じていただきたいですし、その人が持っている本来の良さを引き出させていただくことができたら、これほど充実した人生はないと思っています。だから意外なほど疲れないのです。1人1人のヒーリングを通して、自分もいつも学ばせていただいていますし、脳ヒーリングでその人が目覚めて行くことで、世の中もよくなっていくと思うんですね。脳ヒーリングをクライアントさんに施すと同時に宇宙からエネルギーをもらっているように元気になるんです。 倭子先生の脳ヒーリングというのは、規模が大きいのですね。 脳ヒーラーとして活躍できる技術者を全国、いや全世界に広げて心や身体の痛みや苦しみで困っていらっしゃる方々を一人でも多く救えたらと願いつつ、活動を続けてまいります。 倭子先生、本日はどうもありがとうございました。先生のますますのご活躍をお祈りしつつ、今回の取材を終わらせていただきます。 こちらこそ、遠くからわざわざご足労いただき、どうもありがとうございました。 |